50代で平社員のまま…出世できなかった私の現実と本音
50代にもなると、多くの同年代の社員は管理職や部門長として活躍しています。ところが私は、いまだに平社員のまま。
「出世を望まなかったからでは?」と思われるかもしれませんが、決してそうではありません。私自身、管理職になることを拒んだことはありませんでした。むしろ、努力していれば自然と昇進するものだと思っていました。でも現実は違いました。
この歳になってようやく、出世してこなかったことの“重さ”に気づき始めています。今回はその現実を、包み隠さず書いてみたいと思います。
社内研修で痛感する「年齢と立場のギャップ」
最近とくにしんどいと感じるのが、社内研修の場です。ある程度の年齢になると、職位に応じたカリキュラムを受ける機会が増えます。私は今でも一般職なので、当然ながら若手の係長候補や主任クラスと一緒に研修を受けることになります。
そうした中で、年齢だけが浮いている自分に気づいてしまうのです。30代前半の社員に混じって、50代の自分が研修を受ける。その姿はどう見ても“おじさんが一人だけ混ざっている”状態です。
さらに、外部の人間も参加している研修だと、明らかに不自然な空気が流れます。「この人、なんでここにいるの?」という目線が突き刺さるような気がしてなりません。
研修講師も、自分より年下の方がほとんどです。相手もやりにくそうにしているのが伝わってくると、こちらも余計に恐縮してしまいます。講義の内容に集中したいのに、心のどこかで「自分は場違いではないか」と自問してしまう自分がいる——これが、なかなかつらいのです。
出世できないまま年を取ることの“見えない代償”
若い頃、「出世は面倒だ」「責任ばかり増えて損」といった声をよく聞きました。最近も「管理職になりたくない」という若い社員が増えていると感じます。たしかに、その気持ちは分かります。成果主義や働き方改革の中で、役職のうまみは昔ほど感じられなくなっているのかもしれません。
でも、「出世しない」ことのデメリットも確実にあります。それは、50代になってから痛感します。
会議での発言機会が減り、意見を求められることもほとんどなくなる。人事異動や社内企画の対象からも外されがちになり、「あの人はもう年だから」と暗に扱われることも増えてくる。
さらに、社内での人間関係も微妙に変化します。年下の上司や同僚との距離感に悩むこともありますし、後輩たちからも「尊敬される対象」とは見られにくいという現実もあります。
これは、年齢と役職が一致していれば、ある程度避けられたことかもしれません。出世していれば、自然と周囲も一目置いてくれるし、自分自身も自信を持っていられたはず。でも、それがないと、「この人はなんでこうなんだろう」と思われてしまうことがあるのです。
若い人に伝えたいこと:出世は“保険”にもなる
私は出世を諦めたわけではありませんでした。ただ、結果として昇進することができなかった。でも、言えることがあります。
「若いうちは、少しでも出世の道を考えておいた方がいい」ということです。
出世は、給料や地位を得るためだけではありません。それ以上に、“将来の働きやすさ”を守るための保険のようなものです。
歳を重ねたときに、会社の中での居場所や影響力を維持するために、肩書きというのは実に大きな意味を持ちます。たとえば、課長や部長という立場があれば、たとえ年下の社員が多くなっても、自然と尊重されやすくなります。発言にも重みが出ます。
しかし、平社員のままでは、年齢を重ねても「ただのベテラン社員」でしかありません。それが精神的にこたえる日が、必ず来るということを知っておいてほしいのです。
まとめ|出世はしなくてもいい、でも「できない」のはつらい
私は出世を望んでいなかったわけではありません。チャンスがあれば昇進したかった。でも、うまくはいかなかった。その結果、50代になっても平社員という立場で日々働いています。
今、その現実がじわじわと自分に重くのしかかってきています。
若い方には、ぜひ「出世したくない」と決めつける前に、「出世しないことのリスク」にも目を向けてほしいと思います。たとえ管理職にならなくても、少しでも昇進の道を意識して動いておくだけで、将来の自分を助ける“保険”になります。
肩書きがすべてではありません。でも、肩書きがあることで守られるものも、確かに存在します。
50代平社員のリアルな経験から、少しでも伝わるものがあれば幸いです。
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