早期リタイアを目指す人と、働き続けたい人
最近では「FIRE(経済的自立と早期リタイア)」を目指すサラリーマンが増えています。ストレスの多い職場、意味の感じられない仕事、理不尽な上司──そんな環境に疲弊し、「自由な時間」を手に入れたいと考えるのは自然な流れかもしれません。
一方で、年齢を重ねても仕事を続けたいという人たちもいます。特に、政治家や会社経営者、芸能人など、自らの裁量で動ける立場の人に多い印象です。自分が主導権を握り、他人に頭を下げられる環境では、仕事はストレスではなく「自己実現の場」となるのでしょう。
働き続けることの功罪:「老害」の影
もちろん、社会貢献をし続けるシニアも多く存在します。ですが残念ながら、その中に「老害」と呼ばれる存在も少なくありません。
老害とは、過去の成功体験に固執し、若手の意見を受け入れず、組織の成長を阻む存在です。本人は「自分はまだまだ現役」と思っていても、周囲からは扱いにくい存在になってしまっていることも多いのが実情です。
また、サラリーマンでも、ある程度の裁量を与えられて満足してしまい、自分の存在意義を過大評価して会社にしがみついているように見える人もいます。ポジションが高くなればなるほど、自分を客観的に見ることが難しくなるのかもしれません。
自分が「老害」にならないために
こうした光景を見るたびに、自分もいずれ年を重ねたときに「老害」と呼ばれないように気を付けたいと思います。とくに一定の年齢を越えたら、社内での振る舞いも静かに、控えめにしていくのが望ましいのではないでしょうか。
私は「底辺サラリーマン」なので出世とは無縁ですが、同年代の中で勘違いしている人を見ると、どこかモヤモヤした気持ちになります。地位や年齢にふさわしい人間的な魅力を持ちたいと思う反面、実際には「歳をとる=醜くなる」人も多いのが現実です。
権力や肩書きに執着するのではなく、自分がどう見られているかを冷静に見つめられる「内省力」こそが、老害化を防ぐ鍵なのかもしれません。
まとめ:静かに退く勇気もまた美徳
働き続けたいという意欲は素晴らしいことです。しかし、年齢を重ねてなお現役にこだわるあまり、自分を見失ってしまうこともあります。
社会貢献をしたいなら、次の世代にバトンを渡すという形も一つの方法です。自分が組織や社会の足かせになっていないか、常に自問自答する姿勢が大切でしょう。
そして何より、年齢にふさわしい品格をもって、静かに退く勇気もまた一つの美徳だと私は思います。
にほんブログ村に参加してます。クリックして頂くと有り難いです。