雑記

おっさんになるという現実|50代で気づいた“加齢と社会的弱者”のリアル

20代や30代の頃、自分が「おっさん」になるなんて、正直まったく実感がありませんでした。
どこかで「自分は違う」と思っていたし、街で見かける中年男性たちを見て、「ああはなりたくないな」と軽く考えていたこともあります。

でも、気づけば自分も50代。完全に「おっさん」と呼ばれる側の年齢になりました。

今回は、そんな私自身が「おっさんになって初めて気づいたこと」「社会の中での立場」「お金や生き方への考え方」について、率直に書いてみたいと思います。

自分も確実に年をとり、おっさんになっていく

若いころは、禿げている人や老け込んでいる人を軽く茶化すような風潮がありました。
「かつらってバレてないと思ってるのかな?」なんて話していたことすらあります。

でも、現実は厳しいものです。
私自身はまだ髪が残っているほうですが、同級生の中には明らかに髪が薄くなっている人も多くなってきました。
彼らはかつて、「自分が禿げたら潔くスキンヘッドにする」と豪語していたのに、今は必死で“隠す髪型”を模索しています。

年齢を重ねると、思っていた以上に「見た目」に対しても無力になります。
若いころは、年をとることの現実を想像できていなかった。ただそれだけなんです。

おっさんは、案外「社会的弱者」だった

50代になって感じるのは、「おっさん」という存在が、意外にも社会的には弱い立場にあるということです。

たとえば、職場で若い女性と話すとき。こちらはただ挨拶しているつもりでも、ちょっとでも距離感を間違えると、下手をすれば“気持ち悪がられる”可能性があります。

電車の中でもそうです。
人が多い車内では、少しでも距離が近いと「痴漢と誤解されたらどうしよう」と気を遣いながら立っていたりする。

若いときには、そんなこと一度も意識しませんでした。
でも、おっさんになると、無意識に「周囲にどう見られているか」を気にしながら行動している自分に気づくのです。

仕事でも「引き際」や「自制」が求められる

職場でも同じです。
30代の後輩たちは勢いがあり、自信に満ちた発言をします。ときには生意気なことを平然と言ってくる。

昔の自分だったら、感情的に反論していたかもしれません。
でも今は、グッとこらえて聞き役に回ることが増えました。

「自分も若いときは同じだった」と思いながら、できるだけ冷静に接するようにしている。
つまり、おっさんには“感情を抑える技術”も必要になってくるということです。

若さはそれだけで「武器」になる

同じことを言っても、やるにしても、若い人のほうが評価されやすい。
たとえば、30代の人が起業して成功すれば「すごい」と言われますが、50代が同じことをしても「やっとか」「今さらか」と思われることもあります。

選挙でも同じです。
同じ政策を掲げる候補者が2人いたとしたら、多くの人は「若い候補」のほうに未来を託したくなるものです。

これは残酷だけれど事実です。
何か新しいことを始めるのなら、やはり若いうちの方が有利です。体力もありますし、失敗してもリカバリーがきく。

おっさんはリストラのリスクも高い

私のブログではお金についても発信していますので、経済的な視点でも「おっさんになるということ」を語っておきたいと思います。

年齢を重ねると、会社での立場は固定され、変化が少なくなります。
その一方で、給料はある程度高い。となると、会社の経営が傾いたとき、リストラ対象として真っ先に候補にあがるのが「年齢が高くて給料が高い人」なのです。

これが、おっさんです。

実際にリストラされれば、その後の再就職は困難を極めます。
よほどスキルがあるか、人脈がない限り、今より良い条件で再就職できる可能性はかなり低いです。

そうなると、「会社にしがみつく」しか選択肢がなくなってしまう。
これは、精神的にも経済的にも非常に厳しい状況です。

年齢が上がると、健康・生活コストも上がっていく

50代以降になると、健康面でも変化が出てきます。
若いころには気にならなかった体の不調、生活習慣病、血圧や血糖値などの数値の変化…。

病院に通う回数も増え、薬も増えてくる。
そうなると、医療費もじわじわと家計を圧迫するようになります。

年齢が上がるにつれて、体もお金も「消耗戦」に入っていくのです。

おっさんの“気持ちの若さ”は、ときに誤解を招く

おっさんは心の中ではまだ若いつもりでいるものです。
でも、その感覚のままで行動すると、誤解されたり、痛いと思われることもあります。

たとえば、若い人の輪に無理に入っていこうとしたり、若者言葉を使って浮いたり…。
年齢を忘れた行動は、時に周囲に「気持ち悪い」と感じさせてしまうこともあります。

年相応というのは、決して諦めや妥協ではなく、“分をわきまえる”ということ。
おっさんになったら、「気持ち」ではなく「状況」で動くことが求められるのかもしれません。

おっさんにとって「お金と権力」は最後の防波堤

ここまで読んで、「おっさんって本当に報われないな」と思った方もいるかもしれません。

でも、おっさんにも“武器”はあります。

それが「お金」と「立場(権力)」です。

お金があれば、多少は周囲からの扱いも変わります。
まして、役職やポジションを持っていれば、人は一定の敬意を払って接してくれます。

だからこそ、権力を持ったおっさんは、それをなかなか手放そうとしません。
手放したとき、自分に何が残るかを知っているからです。

若いときに気づけなかった“お金の意味”

最後に、お金に関する大切な視点を一つ。

おっさんになってからお金を持っていても、その価値は限られます。
20代・30代のうちに持っていたお金のほうが、使い道も広く、意味も大きい。

たとえば、60代の100万円と20代の100万円では、体験できること、投資できるものの幅が違います。
同じ金額でも、価値は大きく異なるのです。

だからこそ、若いうちに「使うべきときに使う」「将来のために備える」というバランスが大切なのです。

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まとめ:おっさんになるということは「現実と向き合う力」を試されること

おっさんになるということは、体力の低下や社会的な評価の変化、再就職の困難さなど、さまざまな現実と向き合うことです。

でも、それを悲観するだけで終わらせるのではなく、「ではどうするか」と考えることこそが、成熟なのだと思います。

お金を持つこと。人間関係を見直すこと。社会との関わり方を再定義すること。

そして何より、自分自身を冷静に見つめ、年齢に合った判断ができるようになること。

若いころには見えなかったことが、見えるようになるのが「おっさん」になるということなのかもしれません。

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