雑記

50代にもなって“チェックされる側”という現実|定年延長が素直に喜べない理由

私の勤めている会社でも、定年延長の制度が整いました。
定年は60歳のままですが、希望すれば65歳まで雇用を継続できるという仕組みです。
先日、その制度の概要説明がありました。
会社としては「高齢者の働く環境を整えた」と胸を張っていましたが、私はその話を聞いても素直に喜べませんでした。
むしろ、「この生活がさらに5年も続くのか…」という、重たい現実を突きつけられた気がしたのです。

50歳にもなって“チェックされる側”という現実

私は役職もなく、いわゆる平社員のまま50代を迎えました。
部内のメールを一本出すだけでも、上長の承認が必要です。
その上司からは、「この文章、‘てにをは’が違う」といった細かい修正が返ってきます。

正直、内容はどうでもいい。
それでも私は、上司の指摘どおりに直して再提出します。
まるで学生がレポートを提出しているような気分です。

本来なら、私の年齢なら“チェックする側”に回っているはずです。
若手の書類を確認し、アドバイスをする立場――。
でも、私はいまだに“チェックされる側”のままです。
自分の意見を通す裁量もなく、ただ上司の承認印をもらうだけの仕事。
その現実が、じわじわと心をすり減らしていきます。

「定年延長」と聞いても、希望より先に虚しさが込み上げます。
自分の判断で動けないまま、上の顔色を見て、書類を直して、メールを出す。
その繰り返しがあと10年以上も続くのかと思うと、心の方が先に折れそうになります。

“働ける”という言葉の裏側

会社は「高齢者雇用の機会拡大」と言いますが、現場の実感はまるで違います。
確かに65歳まで働けるようになりました。
でも、仕事の中身は変わらない。給与が上がるわけでも、やりがいが増すわけでもありません。
ただ、同じ席に座り、同じ書類を直し続ける時間が長くなるだけです。

社会的には「ありがたい制度」と言われますが、“働ける”ことと“働きたい”ことは違う
自分の意思で仕事を選べない限り、それは“延命”であって、“延長”ではないのです。

心がすり減る50代

50代になって一番変わったのは、体力よりも心の摩耗です。
やる気がないわけではない。
でも、自分の意見が通らず、努力しても評価に結びつかない日々が続くと、
「自分は何のために働いているのか」と考えてしまいます。

若い頃は「会社に貢献する」「後輩の成長を支える」など、きれいな言葉で自分を納得させていました。
でも、現実には定年までに昇進する見込みもなく、成果を出しても給与は横ばい。
そんな状況で「あと15年近くも頑張れ」と言われても、心の燃料が足りません

それでも辞められない現実

それでも会社を辞めないのは、生活があるからです。
子どもの学費、家計の支出、将来の医療費、そして親の介護費用
どれも避けて通れない現実です。
私のように賃貸暮らしでも、月々の出費は軽く20万円を超えます。
資産は7,000万円台ありますが、「もう働かなくていい」と言い切るには不安が残ります。

65歳まで働けること自体は、たしかに“保険”です。
でも、実際は安心というより、仕方なく働き続ける選択肢にすぎません。
定年延長という制度の下で、心の消耗戦が続くのです。

“逃げ切り”の意味が変わってきた

最近は、「逃げ切り戦略」という言葉に現実味を感じるようになりました。
それはもう“早期リタイア”のような夢物語ではありません。
私にとっての逃げ切りとは、
「会社に気持ちをすり減らされず、最低限の生活を守ること」です。

そのために今やっているのは、

  • 積立投資を小さく続ける(新NISAで年12万円)

  • 支出を固定化し、無駄な変動費を減らす

  • 配当で“会社以外の収入”を少しずつ増やす
    この3つです。
    もはや“勝ち”ではなく“持ちこたえる”ための戦略。
    そう思うようになって、少しだけ心が軽くなりました。

制度は“延びた”が、心は“持たない”

会社がどんなに制度を整えても、働く本人の心までは救えません。
私のように、権限も裁量もないまま年齢を重ねてきた人間にとって、
「65歳まで働ける」という言葉は、現実の延長でしかないのです。

それでも、生活のために出勤し、上司の承認をもらい、帰宅して寝る。
その繰り返しの中で、「自分はもう十分頑張った」と思える日を待っている気がします。
心が先に疲れるのか、制度が先に変わるのか――。
どちらにせよ、“延長された時間”をどう使うかは、私たち次第です。

まとめ:制度より、自分の納得を優先したい

定年延長は、制度としてはありがたいのかもしれません。
でも、私のような底辺サラリーマンにとっては、むなしい生活が伸びるだけにも感じます。
どうせ延びるなら、少しでも自分の納得できる働き方に近づきたい。
「仕事」ではなく、「生活の一部」として働けるようにしていきたい。

65歳まで働く時代――それは心の持久戦です。
だからこそ、制度よりも心の整備を先にしておきたい。
「いつまで働けるか」より、「どんな気持ちで働くか」。
その答えを探すことが、50代の今、一番大切なテーマだと思います。

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